「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2023.01.28
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┃ 「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第71号」をお届けいたします。

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終わったか終身雇用制
 2023年1月25 佐藤忠幸

 正月を開けてもう直ぐひと月経ちますが如何お過ごしですか。
 日本全国で大雪警報が出ています。充分お気を付けてお過ごしださい。
 富岡川せせらぎ緑道では、ナンテン.センリョウ.マンリョウなどが豊かに実を付
けて我々だけでなく小鳥やリスを大いに喜ばしてくれます。
 日本人は、良き習慣・伝統を持っている素晴らしい人間と言われていますが、そ
れを支えたのが日本独特の終身雇用制だと言われています。
 今月はその終身雇用とその創始者と言われる松下幸之助ついて調べてみました。

【日本人はエスカレーターで何故歩くのか】
 本題に入る前に最近話題になっている現象について記します。
それはエスカレーターの乗りかたです。
 1月18日の読売新聞に、日本のエスカレーター片側空けの背景は「速いことは
良いことだ」という高度成長期の価値観であり、「前世紀の遺物であり、多様性を
重んじる時代に逆行している」と痛烈に批判した記事が載っていました。
大坂では1970年頃から、東京では1980年代から、エスカレーターには片側
に寄せて立ち、歩く人の通路として開けるようになりました。
当時はこれが日本人のマナーの良さ・優しさだと世界的に話題となったものです。
ところが、エスカレーターの立ち止まりは危険だとなって数年前から禁止されました。
 私が駐在した中国も、2010年頃のエスカレーターは日本に学んで、足元の真
ん中に黄色の線をひいて、「線の右側に立ち、左側を歩け、それが文明的な利用方
法だ」と、あちらこちらに表示されていました。
当初は、それを守る者はわずかでしたが、上海など大都会では「これがエスカレー
ターの国際的マナーだ」と大半の人が守るようになりました。
しかし、数年経ったら中国でも「エスカレーターで歩くのは危険だ」ということが
分かって、立ち歩き禁止の掲示板が急に出ました。
禁止の掲示板が出て数カ月で片側乗り・歩きの人は見られなくなり、中国人の対応
の速さに感心したことを思い出しました。
 日本でもここ数年の間に、どの駅でも「危険だから歩くな、2列で立て」との看
板が増えて、熱心にキャンペーンを張っていますが、大多数の人が昔どおり一列に
並んで立ち、右側(関西は左側)を整然と?歩かせています。
その為、エスカレーターの転倒事故はこの2年で1,500件と多発しています。
 地方によっては事故防止及び障碍者保護の為エスカレーターに乗る時は立ち止ま
ることを条例で義務付け始めましたが、罰則がない為効果は薄く困っている様です。
 危険を顧みず、急ぐ人間を優先させる姿勢は今では日本だけの悪習です。
 このように、一見マナーは良いが、やたらと自主規制し多数派に従うサラリーマ
ン根性は、世界では全く通じません。
 そのサラリーマン根性は、「終身雇用」から生まれた欠陥だと言われていますの
で「終身雇用」について調べてみました。

【日本式終身雇用は伝統ではない】
 終身雇用は日本的伝統と思っておられる方が多いようですが、実は昔の日本では
職種(仕事)は変わらなくとも職場(会社)の移動は当たり前でした。
江戸時代の商店でも、丁稚から番頭にまでなれるのは数%しかなく、番頭が独立し
て暖簾分けされるのもほんの数%ですからどんどん店を変えていました。
大正時代や昭和の初め頃までは、旋盤工なら旋盤工として、大工なら大工として、
職種は変えないが職場・会社は何回も変えるのは当り前でした。
 だから外人からは「日本人は世界で最も会社を変わる」と言われていたほどです。
 解雇も自由な国でした。
昭和4・5年の大恐慌時には大半の労働者が解雇され失業にあえぎました。
 ところが、「松下幸之助」が起こした松下電器産業では、操業時間を半日に短縮
するなどして従業員を解雇しませんでした。
感動した従業員は休日返上までして売れ残り製品の販売に努めるなど、愛社精神で
徹底的に働き、大恐慌時の苦境を乗り切ったものです。
 これが「日本式終身雇用」の始まりと言われています。
 徐々に他社や他の産業界に拡がり、それが戦後の日本復興を支え、昭和期の高度
経済成長を支えた原動力となったものです。
 まさに「松下幸之助様様」です。

【日本式企業経営の創始者】
 松下幸之助は「日本式終身雇用」だけでなく、日本の産業を支えた様々な経営思
想を創りました。
 幸之助は、職工生活を続けた後、大正7年(1918年)に個人経営の「松下電
気器具製作所」を創業し、有名な「二股ソケット」を発明し製造販売し大当たりし
ました。
昭和10年(1935年)には松下電器産業株式会社とし、自ら社長に就き、ラジ
オや電球などの生産で急成長したことはご承知でしょう。
 やがて、第二次世界大戦が始まると、無線機器やレーダーなど軍需製品も手掛け
たことから、敗戦時はGHQから公職追放されてしまいました。
しかし、昭和22年(1947年)には、松下労組の抗議・救済運動により追放が
解除され、社長に復帰したのです。
 社長に復帰した幸之助は、猛烈なファイトで会社を成長させ、所得第一となった
のが昭和30年(1955年)です。
土地や資産の売買で稼いだのと違って持ち株の配当を中心とした所得ですからその
後も度々第一位となったものです。
同様にして社員持ち株会で数億円の所得を得た従業員は数えきれないほどいました。
 幸之助が偉大なのは、企業経営だけでなく思想面では「PHP研究所」を設立し、
物心両面の繁栄によって平和と幸福を招来しようと努力したこと、晩年には日本の
政治を改革しようと「松下政経塾」まで設立し多くの政治家をも育てたのです。
 そして、幸之助は早い時期から販売代理店の指導や会社の事業部制導入などで多
くの経営者や従業員を育てました。

【企業経営・商売とは幸せを売ること】
 現代の企業経営は、松下幸之助から多くの影響を受けており、その中心が「企業
経営・商売とは、幸せを売ること」です。
 幸之助時代以前の企業経営・商売は「金もうけ」を目的とした利己的なものだ、
働くことは辛いことだ、そこで稼いだお金を使うことが楽しみだ、と言われていま
した。
 幸之助はそこから脱却して、商売とは人々を幸せにすることだ、したがって、仕
事は楽しいこと、会社は生き甲斐の場であるべきだと主張しました。
 そして、そこから生まれる商品が家庭を幸せにする、そのために、松下は従業員
に、次に代理店に、そして消費者に幸せをもたらすことこそ企業経営・商売の本質
だという概念を創り出し「企業経営・商売とは幸せを売ること」の発想に繋がった
わけです。
 松下電産の商売美化、企業共同体化の思想は、国民の勤労意欲と従業員の企業忠
誠心を求め「会社人間のすすめ」でもあります。
当時の日本では、松下電産の実績もあって、それが多くの人々に受け入れられ今に
繋がっています。

【立身出世志向の促進】
 松下幸之助から、現代の企業経営に強い影響を残しているものに「人生哲学とし
ての立身出世志向」の促進があります。
 裸一貫で事業を興した幸之助が、数万人の従業員や株主を豊かにし、全国の家庭
を便利にすることに成功しました。
この姿を見た多くの人々が、自分たちも、と立身出世を夢見る様になったのです。
そのために、一流大学を出て一流企業に入るという「小さな夢」を持つようになり
ました。
夢が小さく現実的になった分だけ誰もが共通の夢を持てる様になったのです。
そして、大企業や官公庁に入ったら、生涯安定した生活が出来るし、クビにもなら
ないし、自宅も持てる、そんな夢を生み出した大元が、幸之助の築いた終身雇用と
事業部制などによる権限の分散という戦後的な日本式経営にあります。

【日本式経営が会社人間を生む】
 松下幸之助が残した「日本式経営」が広まったことで日本に「会社人間」が育ち
ました。
 幸之助がつくった終身雇用は、戦後10年頃から松下電産の成功例と、国鉄その
他で多発した労使紛争の反省などから急速に広まり定着し、結果的に幸之助の言う
とおりの社会となったのです。
 地方から採用した従業員は、高賃金の将来を約束されただけでなく豊かな福利厚
生に恵まれた日本式経営・終身雇用をエンジョイしたのです。
 私は、愛知県の高校を卒業して直ぐに上京して、入社したアルプス電気も将にそ
の様に会社変革の真っ最中で、私もそれをフルに活用して家庭を築いてきました。
結婚したら家族寮に入り、子供が出来たら社宅に入り、子供が3人になったら「持
ち家制度」を利用して低金利で住宅資金を借りて一軒家を建てました。
土地の高い京浜地区で持ち家が出来るなんて、上京前には夢にも思っていませんで
した。
 まさに、アルプス電気様様です。今考えればその手本を作った幸之助様様です。

【終身雇用制の終り】
 松下幸之助は昭和が終わって直ぐの、平成元年(1989年)4月に94歳で亡
くなりました。
ほぼ同時に終身雇用制も壁にぶつかってきました。
 昭和の高度経済成長を支えたのは、もちろん製造産業の発展ですが、その根源は、
終身雇用制であったと言われています。
そして終身雇用を支えたのは、経済が常に成長し、人口が増えて若年労働者が増え
たという環境であったと言えます。
平成7年(1995年)をピークに若者が減り始め、終身雇用は限界に達したのです。
 最近の報道によると、終身雇用を前提とした賃金制度も早期に変える必要が生じ、
各社その検討に入ったと言われ始めました。
 この新しい時代を迎えた今、松下幸之助が不在ということは辛いですね。
代りの思想で、代りの時代を創って下さる偉人の出現を待っています。

 今月も難しいテーマでかつ長文で申し訳ありませんでした。

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