「今だから話せる佐藤のコラム 第73号」

「今だから話せる佐藤のコラム 第73号」

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2023.03.26
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┃ 「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第73号」をお届けいたします。

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異国で聞いた東日本大震災
 2023年3月22日 佐藤忠幸

 桜が咲き始め急に春の陽気となりましたが皆さまは如何お過ごしですか?
 富岡川せせらぎ緑道では、ハクモクレンも満開、根元ではツバキまで満開で華や
かです。
そういう中で野球が世界一となりました。
アメリカを破るのは無理だと思っていましたから感動します。
 以前報告致しましたように、私は1990年から2015年まで異国に単身赴任
していました。
先月、関東大震災概要について若干記しましたが、東日本大震災、阪神・淡路大震
災という大地震が私の異国赴任中に起こり何か不思議な経験をしました。
 今号は中国で聞いた東日本大震災に関する話題を報告いたします。

【戦後最悪の震災、東日本大震災】
 東日本大震災は2011年3月11日14時46分ごろ襲われました。
日本の地震観測史上最大とされ、東日本、岩手・宮城・福島・茨城・栃木・群馬・
埼玉・千葉の8県で震度6弱以上が観測され、死者・行方不明者約2万2000人
という戦後最悪の震災です。
 そして太平洋沿岸部への巨大津波により甚大な被害に遭い、福島第一原子力発電
所事故を招くという大地震です。

【上海で聞いた東日本大震災】
 私は、地震が発生した日は上海駐在中でちょうど宮城県から出張中の友人と一緒
に上海の弁護士事務所で商談をしていました。
其処に日本に居る家内から私の携帯に電話があり「日本は大変なことになっている
よ、今、宮城県の方とご一緒でしょう。直ぐに伝えて!」とのことでした。
 そのことを友人達に話したら、弁護士がスマホで映像を見て下さり「本当だ!凄
いことになっているよ」と驚き、それを見せてくれました。直ちに商談は中止し、
急ぎ友人を連れて上海のマンションに戻りました。
私のマンションでは、NHKの衛星放送を見られるように設置してあるからです。
友人と一緒に日本のTV放送を見たら愕然としました。
 画面は丁度宮城県の被災状況を生中継しており、仙台空港が洪水で流されていま
した。
友人曰く「あ~これで僕の車は流されたな~。家はどうなったかな~?会社はどう
なったかな~?」
友人の自動車は仙台空港の駐車場に預けていたので流されてしまいました。
 彼も私も日本へ電話しても全くつながらず、日本とはしばらく音信不通となりま
した。
また、彼が急ぎ帰国したくとも、日本へ行く便を探すのに苦労しました。
知人が経営する旅行社に頼み東京への便は何とか見つかりましたが、仙台方面へ飛
ぶ飛行機も鉄道便も見つからず困りました。
このため東京から日本海側を周る鉄道ルートで仙台へ向かってもらった記憶があり
ます。
 そんなことは、今考えれば小さなことでした。
東日本では、多くの犠牲者を生むだけでなく、原発事故まで起きてしまい大変なこ
とでした。

【翌年見た生々しい宮城県の被災地】
 2012年に宮城県の友人から声がかかりお見舞いがてら、被災地の視察という
よりか見学をしてきました。
さらに半年後に昔勤めた会社のOB会の皆で視察しました。
大洪水で倒れた銀行ビルを見て、日本のビルはこんなにもろいのか!
そして何故倒れる前に逃げなかったのかと思い、鉄骨だけになった役所庁舎を見て
ここの職員や避難者は・・・・、と唖然としました。
 津波で78名中74人の児童と11名中10名の教職員が犠牲・行方不明になった
旧大川小の校庭の向こうには小高い山が見えました。
何故そこに逃げなかったのかと泣きそうになりました。
その山道は土砂災害警戒区域に指定されているから危険だとの判断もあったようで
すが、結果的には山に避難した生徒だけが助かったようです。
助かった生徒の発言に「亡くなったおじいちゃんは漁師で、日ごろから“津波が来
たら山さ逃げろ”と教えてくれていたから山へ登って助かりました。」がありました。
 もう一つ印象深い景色は、田んぼの真ん中に浮かんだ巨大な船でした。
あんなでかい船がここまで流されたのかと驚愕しました。

【5年後に見た福島県の復旧状況】
 2016年に2012年と同じOB会が相馬市で開催されました。
相馬の野馬追が復活したとのことで、相馬市で開催したのですが、その時に東日本
大震災の復活状況も案内頂きました。
 2012年にしっかりと宮城県の被災状況を見ていますので、驚かないだろうと
勝手に想像していましたが、東京電力福島第一原発事故による放射能汚染による被
害に驚きの連続でした。
 まず、多くの田んぼが大規模な太陽光発電基地となっていたことです。
見渡す限りガラスのような板で作られた発電装置でした。
聞くと、地域によっては、農作物の大部分が売れない・食べられないから仕方なく
発電しそれを東電へ売っているそうです。
 そして山沿いの田んぼは土嚢の山!
聞くと、汚染土の仮仮置き場だとのことです。しかし・・・・
・何処がそれを受け取ってくれるのでしょうか?
・横浜市でそれを受け入れたら何処に置くのだろうか?
・原発被災影響はこの先何十年・何百年続くのだろうか?
 原発から離れた地域の復興村を見てほっとしたものですが、居住者が少ないのは
心配でした。

【東京湾が見えなくなった金沢プール】
 東日本大震災による被害は横浜方面には無かったものの、津波被害は多大なもの
でした。
 私の近くの金沢工業団地は東京湾を埋め立てられた工業団地ですが、岸壁を乗り
越えた津波で多くの工場が被災し、復旧に数年かかっていました。
 私が通っている、工業団地横の金沢プールの売り物は「東京湾をのぞむ海沿いに
ある屋内プール」です。
東京湾に接していることは今でも間違いありませんが、2017年から「のぞめな
く」なりました。
プール横に地上高3m、水面からは11mの強大な防波堤を作ったからです。
プールは地上高1mぐらいの位置で作られていますから、以前の堤防なら休憩中に
東京湾を眺められ、出入りする船や釣り船を見ながらのんびりできました。
天気が良ければ対岸の房総半島も見られ、確かに売りものの大きな看板でしたが、
今では窓からの眺望は、海は全く見えず空しか見えません。
 最初からこの巨大防波堤を計画していたらプール本体をもっと高いところに作った
でしょう。
売り物の一つだった「眺望」がゼロになった以上は他の売り物を確保しなければ
「閉館」に追い込まれるのではと心配しています。
 それはともかく、被災者が出る前に着工し、完工したことはよかったと思います。

【中国での評判】
 最後に、当時の東日本大震災に関する中国・中国人の反応を報告します。
 3月12日、東京から電話がありました。
それは日本へ行っている中国人からで、「日本に居て感動した」との電話であり驚
きました。
駅に行っても、帰る電車はいつ動くのか分からない。しかし、駅員に怒鳴る者はい
ない。
TVで見る被災地の姿では、救援物資に対して奪い合う姿は一つも見えず、整然と
並んでいる。
改めて、日本人の民族力・底力を感じたと、感動を伝えてきたのです。
嬉しかったですね
 やはり12日に上海のいつもの居酒屋へ行ったら、ママさんが開口一番「日本の
お魚は食べられないそうね」、早くも、そんな風評が出ているのかと驚きました。
「重金属で汚染された中国近海の魚よりも安心できるよ」と答えましたが風評を消
すのは無理です。
中国政府も経済対策としても風評打消しに躍起となっていました。
しかし、3月24日に香港その他で、日本から輸入した生鮮食品の放射線汚染が検
疫で発見され、「うわさは正しかった」ということになってしまいました。
 日本は、輸出の検疫はしていないのか?と腹が立ちました。

【見直された日本人の優しさ】
 3月22日に、日本の友人から次のメールが来ました。
日本で今日、下記の新聞記事があったが中国では報道していますか?
『19日に京都市で開かれた日中韓外相会談で、中国の楊外相が東日本巨大地震で
中国人の命を救った日本人のエピソードを紹介し、謝意を伝えていたことが22日、
政府関係者の話でわかった。楊外相は、地震発生直後に、宮城県女川町の水産加工
会社の男性が研修中の中国人20人を真っ先に避難させ、自らは安否不明になった
と中国で報じられたことを紹介。松本外相に「中国国民は、日本人にとても温かい
イメージを持っている」と謝意を伝えたという。』
 さっそく、中国の知人に知っているかと聞いたところ、「それは1週間ほど前に
報道しており、中国人で知らない者はいないよ」とのことで驚きました。
新聞やインターネットは、当然大々的に報道しており、TVでも、CCTV(日本
のNHKに相当)では、助かった中国人のインタビューも含めて長々と放送してい
たそうです。
子供達も涙を流して見ていたので、日本フアンあるいは見直す人が増えたそうでホッ
としました。
 ちなみに、CCTVのニュースチャンネルでは、数日間は終日、日本の大震災報
道を続けていました。
その放送では、悲惨な状況のみだけでなく被災地の暮らしぶりも報道しており、避
難市民の沈着冷静な行動も見せていました。
・食料品を奪い合う姿など何処にもなく、キチンと並んでいる。
・日常の避難訓練のおかげで、多くの子供が助かった例も見せていた。
・建造物の耐震構造の違いも見せていた。
津波さえなければ、あるいは普通の津波だったら大部分の建物は助かったと。
 中国四川地震で、避難先となるべき学校が先に壊れたこととの大違いを説明して
いました。
 中国政府は、東日本大震災を利用して国民の再教育をはかったのかなと思ったも
のです。

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