「今だから話せる佐藤のコラム 第65号」

「今だから話せる佐藤のコラム 第65号」

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2022.07.28
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┃ 「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第65号」(初めての海外生活65)をお届け
いたします。

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 漢字と古代文字
2022年7月27日 佐藤忠幸

 梅雨の様に雨続きだったり猛暑だったり、大雨だったりと、厳しい夏ですね。
 欧州では40℃超えのところもあると聞いて驚いたら、中国四川省で43℃、
アメリカ南部ではと46℃と更に驚きます。地球全体が異常気象を迎えました。
そのためか新型コロナ感染者も新記録を迎え、ますます心配です。
 富岡川せせらぎ緑道では、樹木の花は全く見えず緑一色となりました。
 
 今号は、日本語の歴史について少々調べましたので、日本最古の正式歴史書の記
紀(古事記・日本書紀)を中心に報告させていただきます。

【古代日本に日本語は無かったのか】
 学校で、天武天皇の時代に記紀(古事記・日本書紀)が書かれ、それが日本で最
初の文字だと教わっています。
 すなわち、「古事記」は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が覚えていた数々の歴史記
録を口頭で話したのを、漢文の達人である太安万侶(おおのやすまろ)が漢字文に
直したものと教わっています。
因みに、古事記は天武天皇が太安万侶に作成を命じたものの直ぐに崩御されたため、
息子の嫁である元明天皇時代の西暦712年にたった4ヶ月で、完成した歴史書です。
主に天皇家の正当性を国民に示すために作られたもので全3巻です。
したがって、天皇家の先祖としてのエピソードそして「因幡の白うさぎ」や「大国
主物語」など神話が含まれ、歌も112首入っています。
 文字はもちろん漢字ですが、いわゆる漢文は未だ使いこなせなかった様で和化漢
文・変体漢文と言われるものです。
日本文読みに合いそうな適当な漢字を探して文章を作っています。
いわゆる「当て字」ですから読むのに大変苦労します。
 言い換えると、輸入した中国語である漢字を使って日本の古代文を書き換えただ
けの歴史書だから4ヶ月という短期間で完成できたわけです。
このいきさつからだけでも、古代日本に日本語があったのは確かでしょう。
 一方日本書紀は、やはり天武天皇が作成を命じて孫天皇の元正天皇時代の西暦
720年に完成した日本史です。
文字は完全な漢文ですので現代でも読み易いものです。
日本書紀は世界に日本の正当性を訴えるために作られたもので、神話は無く歴史の
みを丹念に調べ上げたものと言われています。
途中、天武天皇崩御の為一時中断もありましたが、驚くことに39年もかかって編
纂されたとのことです。

【記紀以前の文書】
 日本を統一しようと漢字の当て字(表音文字)で作られたのが「古事記」であり、
日本を世界に認めさせようと、当時世界で最も使われていた漢文で作らせた歴史書
が「日本書紀」ですから作るのにもの凄く苦労したものと思います。
まず、古代文で書かれたあるいは人々の記憶だけでの歴史をまとめることに苦労し
たことでしょう。
そしてそれを漢文に直すことは更にご苦労だったと思います。
しかし、聖徳太子時代(600年代)に作られた「憲法十七条」や「冠位十二階」
などの各種法律類はどのような文字で作られたのでしょうか。
仏教と一緒に早くに渡来した漢字・漢文を使ったでしょうか?
ただし、それらの原文や写しも残ってなく残念ながら、そういう文書があったとい
うことは日本書記の中にしか書かれていなく、不思議です。
公式な日本史には記載されていませんが、聖徳太子時代以前にも古代文字・神代文
字で書かれた歴史書「帝記」や「旧辞」なども大量にあった様ですが写本すら残っ
ていません。
残っているのは神代文字の写しだけで古代文字が有ったということは否定されてい
ます。
しかし、そもそも、日本書記や古事記の原文は残っていません。
今残っているのは、古事記は14世紀に作られた写本、日本書記も9世紀~14世
紀に作られた写本です。何処まで本物でしょうか?

【漢字はいつ頃日本に伝わったのか】
 では、その漢字はいつ頃日本に渡来したのでしょうか?
これは色々な学説があり、それを説明したらそれだけで一冊の本になってしまうの
で、私が判断した結論を記します。
 古代日本人が漢字に最初に出会った時期は、「漢委奴国王」と彫られた金印(福
岡県志賀島出土)や、「貸泉」という漢字が彫られた銅銭(長崎県シゲノダン遺跡
出土)などから1世紀ごろだと推定されています。
いずれも中国大陸で製作され、日本人が漢字に出会ったというだけの感じです。
 そして、漢字を使い始めたのは、5世紀ごろの様です。
日本で制作された遺物に、日本の地名や人名が漢字を用いて記載されるようになり
ます。
埼玉県行田市で見つかった稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文には人名や地名が刻まれ、
熊本県玉名郡出土の鉄剣や和歌山県橋本市伝来の銅鏡等にも人名・地名が漢字を用
いて記されています。
ただし,これらの品の製作には、大陸や朝鮮半島からの渡来人が関わっていた可能
性が高いようです。

【仏教の伝来と漢字文化の定着】
 日本人が漢字を使い始めたのは仏教などが伝わった6世紀から7世紀になってか
らです。
中国大陸や朝鮮半島から儒教・仏教・道教を取り入れ始めこれらを摂取するために
は、漢文で書かれた書物を読む能力が必要になったからです。
さらに、奈良時代になると仏教が盛んになります。
聖武天皇による大仏の造営開始はそれを象徴する事業ですが、732年(天保4年)
には580名もの遣唐使が送られ、主に仏教を学んで帰ってきました。
そして、鑑真和上が中国揚州(江蘇省)から753年(天平勝宝5年)来日し、正
しい仏教・経典を教え広めて下さりました。 
日本で行われていた大規模な写経事業も一躍正確になり、日本での漢文も正しくな
りました。
多分、仏教が伝わらなければ日本に漢字文化は定着しなかったと思います。
その当時から考えるとたった1500年位しか経っていないのですよ。
4千年近い漢字文明の歴史から考えると驚きの短さですね。
 なお、2007年に鑑真出身のお寺である揚州市の「大明寺」を拝観したので簡
単に報告します。
唐時代に日本からの留学僧の懇願を承知し、国禁を犯し、失明しながらも11年の
歳月と6度目の渡航で日本へ渡ることに成功し、日本へ本格的な仏教の布教をして
奈良に眠っていることがお寺に明記されています。
 日中国交修復をなした田中角栄と周恩来が寺を守ったというお寺でも有名です。
文化大革命のさなか、周総理が揚州市長に手紙を出して「紅衛兵から絶対にこの寺
を守れ」と依頼・命令を出しました。
日中友好のシンボルとしての価値を見出した周総理の、寺社破壊活動をしている紅
衛兵から守るべくとの、必死の手紙を見た市長は、軍隊と警察で寺をぐるりと囲み
守ったのです。他のお寺は全滅したそうです。
1982年、国宝鑑真像がお里帰りした時には、1週間で20万人もの人が押し寄
せました。
その時に記念に作られた灯篭の火は、消えることなく今も世を照らしています。

【漢字渡来以前の古代文字はどうした】
 私が学校で学んだ歴史では、日本に文字は無く漢字が到来して初めて文字を使う
ようになったと教えられ、「古事記」は稗田阿礼が覚えていた数々の歴史記録を口
頭で伝えたのを、太安万侶が漢字の文に仕上げたと教わっています。
 しかし、古事記の解説本を読むと、太安万侶が序文で次の様に語っています。
「そこで天皇(天武天皇)は稗田阿礼に命じて、帝皇の日継及び先代旧辞を誦み習
わせたり・・・・・」。
難しい文章ですが、稗田阿礼には読めても太安万侶には到底読めない、古代文字・
神代文字で書かれた「帝記」や「旧辞」などを太安万侶に読み聞かせたということ
です。
つまり、古代日本にも文字で書かれた色々な記録は有ったということを表しています。
 では、何故、記紀(古事記・日本書紀)という日本の伝統と歴史が日本の古代文
字で書かれなかったのか?
苦労して何故外来語の漢字を使わなければならなかったのか?
 一つは、663年(天智2年)に百済・日本連合軍が白村江の戦いで唐と新羅の
連合軍に大敗北して、占領軍である唐使節団を2,000人も派遣されたことなど
から、朝鮮やベトナムと同様、唐に古代文字を廃棄させられ漢字を強制的に使わさ
れたと言う説が有力です。
 もう一つは、この敗戦を利用して、天武天皇が統制のとれた新しい律令国家日本
を作ろうと、古い伝統・歴史と一緒に(使い難かった?)古代文字を廃棄させたと
言う説です。
 どちらにしても、「帝記」や「旧辞」など古代文字で書かれた歴史書は中味と共
に消えたことは確かです。
中国の歴史書「魏志倭人伝」には邪馬台国や卑弥呼のことが書かれているのに、後
の歴史書には日本の記紀のことが一切書かれていないのは不思議です。
しかし、記紀を作れるような中国を脅かす存在の日本に警戒し、それ以降は日本の
歴史には触れないようにしたのでしょう。
 そう言う中で、現代でも古社に残っている「伊勢文字」や「出雲文字」などの神
代文字で書かれた奉納文は2000年も前の貴重な文書ですが歴史的価値は認めら
れていません。
後世の写ししか残ってないから歴史的価値は無いと言われていますが、記紀も同じ
く後世の写ししか残ってなく、何故差別するのか疑問に思います。
 
 それらの事実は、異国の文字を輸入したことを、昔は天皇家の恥として、近代に
なっては国家の恥としてとぼけているのでしょう。
  ・古代に文字は無かった
  ・漢字を使ったのは中国から強制されたからではない
  ・日本政府は正しい判断をした
と、決めつけその前提で教育をするとは、日本は不思議な国です。
 何故か、昭和憲法誕生のいきさつを思い出します。

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