「今だから話せる佐藤のコラム 第74号」

「今だから話せる佐藤のコラム 第74号」

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2023.04.28
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┃ 「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第74号」をお届けいたします。

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異国で聞いた日本の大震災
 2023年4月26日 佐藤忠幸

 今日は久々に雨です。
初夏の陽気となったら寒くて初春に戻ってしまうなど変化が激しく大変です。
貴方は如何お過ごしですか?
 富岡川せせらぎ緑道では、紅シダレモミジが華やかで、足元ではツツジが見事です。
しかし、サツキとは見た目がとてもよく似ており区別が難しいですね。
そのはずで、サツキの正式名称は「サツキツツジ」つまり、ツツジの仲間なんですよ。
 以前報告致しましたように、私は1990年から2016年春まで異国に単身赴任
していました。
先月、関東大震災に続いて東日本大震災について報告しましたので、今月は阪神・
淡路大震災と新潟県中越大震災について報告させていただきます。
 この両震災は、私の異国赴任中に起こった大震災ですが何か不思議な体験をしま
した。

【マレーシアで聞いた阪神・淡路大震災】
 1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きました。
兵庫県南部・淡路島北部で最大震度7、死者・行方不明者6,437人という大震
災です。
 1995年はマレーシアに作った子会社に赴任しクアラルンプールに住んでいま
した。
当時は衛星放送もなく、パソコンもインターネットもごく一部の若手幹部と技術者
しか使ってない時代でした。
私は社長で赴任したためパソコンを使ってなく日本との交信は電話かFAXでした。
したがって、大地震の情報は断片的・間接的にしか入らずイライラしたものです。
 最初は「関西地方に地震が起きたようですよ」との情報でしたが、出向者に関西
出身者はいなかったこともあって誰も心配しませんでした。
ところが多くの建物が倒壊し死傷者も数千人を数えるようになって驚きました。
死者・行方不明の人数は日を追うごとに急速に増えてきて「このままでは1万人を
超えてしまうな―」と皆で話し合いながら心配したことを覚えています。

【昔の名残が消えた神戸港】  
 1999年にマレーシアから帰任すると同時に、気分転換に夫婦で九州一周旅行
をし、九州を周ったならついでに四国もと、2カ月後には四国1周旅行してきまし
た。何れもマイカーの旅でした。
九州へは、神戸港と門司港を結ぶフェリーで往復し、四国には神戸から明石海峡大
橋で淡路島を通って鳴戸・徳島へと往復しました。
何れも、神戸が起点のため阪神・淡路大震災の跡地が見られる思ったのですが、見
られず残念というよりも早い復旧を見て一安心したものです。
ただし、高速道から神戸市内を見降ろしただけで下町は見ていません。
今考えれば下町の復旧は、当時はマダマダだったのでしょうね。
 しかし、驚いたのは神戸港の激変状態です。
観光案内で見た神戸港の姿は全て消えてなくなり、新しい近代港となっていてガッ
カリしました。
横浜港には度々行きますが、そこでは明治維新時の名残が少し残っています。
神戸港にもそれを期待したのですが、全滅したのでしょうね。
 淡路島にも一泊しましたが、阪神・淡路大震災の跡かたは全く残っていないのに
は驚きました。
大地震の遺跡などは 観光的にはマイナス遺産なのかなと思ったものです。

【上海人から聞いた阪神・淡路大震災】 
 2000年からは16年程、上海・蘇州を基点に仕事をしてきました。
その中で多くの上海人の知人・友人を得ましたが、大学の先生をしている上海人か
ら阪神・淡路大地震の嫌な思い出を聞きました。
 彼は1995年当時、神戸大学に留学しており神戸市内のアパートで暮らしてい
ました。
大地震によりアパートはペチャンコに潰れましたが彼は家具の間に挟まり奇跡的に
命拾いをしました。
しかし、救出には相当時間がかかったそうです。
 アパートが潰れて間もなく救出隊が到着してたので、家具の下でホッとしていた
ら「この部屋の住民は中国人だな、後回しだ!」と隊員どうしが話し合っているの
を聞いて驚きました。
建物の潰れ具合から住民は死亡したと思われたのでしょうが、差別的な発言に唖然
としたそうです。
長い間の日本フアンが一挙に吹っ飛んでしまいました。
だから神戸大学を卒業後は長く日本で働くつもりだったのですが、日本での就職は
お義理程度のわずかな期間だけで早々に帰国したそうです。

【新潟県中越大震災】
 私が新潟県小出町(現在の魚沼市)に住んでいたのは1980年前後の3年間だ
けですが、家族全員で過ごした懐かしい故郷のひとつです。
 新潟県中越大震災は2004年10月23日に起こりました。
新潟県川口町で最大震度7と、計測震度計で震度7が観測された最初の地震です。
川口町の地震計では当時世界最高の2,516ガルを記録しました。
その割に死者68人と比較的少数だったのは幸いでした。
 新潟県中越大震災が起きた2004年は私が中国上海に赴任中でした。
当時はパソコンも持っておりインターネットもやっていましたが、ニュースはあま
り見られませんでした。
そのことから日本のTV放送が見られるマンションに住み替えました。
 しかし、数カ月後帰国した時に、日本で情報を詳しく見たら驚くことばかりでした。
今号ではそれのいくつかを取り上げてみます。

【上越新幹線脱線】
 私が小出町に住んでいた当時、上越新幹線はなく上越線その他の乗り換えが面倒
なため東京との往復は殆ど自動車でした。
小出から横浜へ戻った翌年の1982年、上越新幹線が開通したというニュースを
見て「やっと田中角栄さんの夢が叶ったな」と思って喜んだものです。
 その新幹線が2004年10月23日17時大震災で長岡駅から6Km上りの浦佐
方面で脱線しました。
乗客等154名を乗せて速度約200km/hで走行中の列車が地震に遭ったからです
が、新幹線が地震で脱線するなんて地震大国の我が国でも過去に例のないものこと
です。
あの新しい新幹線が脱線するとは相当激しい地震だったのだろうな、しかし、工事
の手抜きが無かっただろうかと不思議に思ったものです。
 乗客は車内で待機し地震の様子を見聞きし、もう大丈夫だろうという深夜になっ
て係員の誘導で線路の上を歩いて駅に向かったという、大事故でしたが死亡者が一
人もいなかったことは幸いでした。

【崖崩れから幼児の救出】
 新潟県中越大震災で最も話題を呼んだニュースは、崖崩れから幼児が奇跡的に救
出された件です。
震災発生から5日目「なんとか助かってほしい」と見守る人々の願いのなか、ひと
つの命が地震発生から約92時間ぶりに救われたのです。
長岡市妙見町の土砂崩れ現場に埋まっていたワゴン車内で、行方不明となっていた
母子3人のうち、主婦皆川貴子さん(39)=同県小出町=と長男優太ちゃん
(2っ)が27日午後、発見されました。
病院に搬送された優太ちゃんは意識がはっきりして「水を飲みたい」と話していた
ほどです。
残念ながら貴子さんは死亡が確認され、同乗していた長女は数時間後埋もれたワゴ
ン車から遺体で発見されました。
 ワゴン車が埋まっていた現場は信濃川沿いの県道で26日午後大きな岩の間にワ
ゴン車が挟まれているのが発見されたのです。
 三人は23日に車で新潟市へ出かけ、同日小出に帰宅しようとした途中大震災に
よる崖崩れに遭い親子三人で被災したもので、大規模な発掘作業や被害者をクレー
ンで吊り上げる姿までTVで中継され、全国民の注目を浴びたものです。

【昔仲間の家も被災】
 私は新潟県小出町で3年間暮らしたことは既報の通りですが、その時の知人・友
人のお宅の多くも被災されました。
幸いにして人災はなく、また倒壊したお宅もありませんでしたが随分あちこち壊さ
れ、お嘆きの中でもこのくらいの損傷で済んでよかったと言われホッとしたものです。
 地震後のある時、新潟県に車で行った時、近道である山沿いの道を通ったら土砂
崩れからの復旧遅延で、あちらこちらで通行止めでした。
また通過できても崖崩れの傷跡が濃厚に残っており驚いたものです。
その代表が日本の錦鯉の原産地とされる山古志村(現在の長岡市)です。
 山古志村は人口約2,100人ですが、死者5人、負傷者25人、全壊622棟
の被害を受け、村内では地滑り329か所が発生して道路は寸断され、村は孤立し
ました。
震災から2日後の10月25日、山古志村は避難勧告を避難指示に切り替え、全村
民はヘリコプターで長岡市内の8か所の避難所に運ばれました。
おかげで、全員無事で約2年後全村帰宅を指示出来ました。
全村避難を、勇気をもって決断し指示をした長島村長の決断力は全国的に有名に
なったものです。

 地震についての報告は日本ではキリがない程多数ありますが、これにて一旦終了
とさせていただきます。
 長い間ご愛読感謝いたします。

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